漠然とした”将来への不安”をどうにかしたかった

こんにちは!バリスタKAZUです。

 

最近大学に戻って同学年と3年遅れの人生を歩んでいます。現在3年生ですが、

「そうか。就活を考えないといけない時期か…」

と実感しています。気付けばインターン情報が目に入るし、ゼミの同室のみんなもスーツで授業を受けたりしているし、大学では就活に関するイベントやセミナーばっかり。

休学する前の大学の同級生も、高校の同級生も、最近出会う人たちも社会人ばかりなのですが、みんな就活という人生の大きなイベントを終えて社会人楽しんでいる様子を見てとても羨ましい。(仕事そのものを楽しんでいる人は少数だけどね笑)

 

で、大学に戻ればみんな就活している。世界って紙一重です。

かくいう僕も就活で大きく悩んだ時期がありました。悩んだ結果2年間休学し、ヒッチハイクも3回して、クラウドファンディングもして、会計士になろうと簿記の資格も取って、福岡から東京まで自転車旅をして、、、

でも、現在はほとんど悩んでいません。が、最近その正体がわかったような気がしています。

 

将来のために今何をしているか

個人的には、これがわかっていない人ほど焦っているように思います。大学生も大人も。かつての僕も。

「なんのために今があって、なんのために今何をするべきか」がわかっていないまま時間を過ごすと、例えば「就活」というイベントに直面した時に焦ると思うのです。

僕も、大学1年生の頃から就活について色々調べました。で、めっちゃ焦りました。何がやりたいかもわからないし、自分が何をできるかもわからない。受験と違って、頑張れば行きたい世界に行ける戦いでもない。

この状況で就活に向かうと、絶望です。当時の僕も、大学1年生ながらに絶望を感じました。だってどの業界に入ればいいかもわからないし、そもそも将来何をすればいいのかもわからない。しかも不確実性にあふれている(選択の余地が大きい)から何も手につかない。

 

高校までは、甲子園に行くための野球と大学受験のための勉強しかしてきませんでした。どちらも、大学に入ってしまえばそういった目標がなくなる。だから、大人になるときに何がしたいかなんてビジョンがなかった僕は焦った。

 

別に人のせいにして責めたいわけでもないけど、「教育」って「他者関係の中での自己理解」だなって最近思っていて、それを認識して中学高校生活を送っていなかったのが致命的だったなと。そういうの教えて欲しい。

 

物事がわかると、人って客観視できるようになるんです。物質の存在を理解し、それを言葉で認識して「自分とは違うものだ」と判別する。その中で「あ、この人はこういう特性があって自分にはない」とか「この分野では一番できる気がする…」だったりの視点ってかなり重要だと思っていて、何が言いたいかというと努力の方向を間違えないのが一番重要だと言いたい。

 

公立高校の野球部が、私立高校の野球部と同じことをしていて勝てるはずがない。公立高校がやるべきことは、練習時間を確保することでも厳しい練習をすることでもない。公立高校がするべきことは、「習得しやすい技術の習得」を目指すことが重要だと思う。それは、バント・スクイズとか守備とか。

ホームランを打つ確率よりも、バントを成功させる確率の方が高いし、高くさせやすい。ノーアウトランナー3塁で打者がヒットを打つ確率よりも、スクイズを成功させる確率の方が高い。(全部肌感覚での話だけど)

「点を取り合う」というゲームで、いかに確率を考えてプレーできるかが重要だ。これはどの世界でも言える。この考え方がとても重要だと思っている。

 

で、この努力の方向性は、「将来の進路」にも言える。

ゲームを頑張った先に何があるのか?
野球を頑張った先に何があるのか?
研究を頑張った先に何があるのか?

これらを考慮して努力しないと、道が拓けない。

野球を頑張って生活ができるようになるのはほんの一握り。研究をずっとし続けて生きていくスキルが身につくのかどうかも考えないといけない。

何が言いたいかというと、「自分はどういうスキルをつけたくて、どういう未来を作りたいのか」を考えて逆算的に考えることが重要だと思っている。もちろん、他者との比較を経てね。

 

 

そんな、4年前の僕に向けた記事でした。当時の俺やっぱりアホだったんだなw