「すごい人」に好かれようとして…

今僕に関わる全ての人へ。

 

僕は有名になりたかった。

なんでもいいから何かを成し遂げたかった。

認められたかった。

ちやほやされたかった。

 

「すごい人から好かれたい」

僕は小さい頃から目立つことが大好きだった。授業でふざけたり、運動で一番を目指したり、勉強で目立ったりと。目立てるチャンスがあれば大体目立ってきた。

今も、目立ちたい気持ちはあるとは思う。僕も有名になってちやほやされたい。有名人が羨ましいなって思うことも多々ある。

だから、これまで急に方向転換するのも、目立つためだった。路上でコーヒースタンドを立てたり、大学休学して福岡に帰ったり、福岡から東京まで自転車できたり、しかもサドルを抜いてやろうとしたり、会計士の試験を受けたり…

誰かから反応をもらえるのが嬉しくて、誰かに背中を押してもらいたくて、誰かに僕を好きになってもらいたくて目立つことをしていた。

 

知らない誰かからの反応は嬉しい。まるで自分が有名人になったかのような感覚になる。

 

だから、それを僕は追いかけて追いかけて追いかけて…

 

僕は「目の前の人」が見えなくなった。

 

「誰かからの反応」を欲しがるあまり、僕には先しか見えていなかったのかもしれない。「こうなりたい」「こうあって欲しい」「こうなっているだろう」と楽観的に自分の将来を見積もり、行動し、失敗ばかりしてきた。

そして、すごい人に気に入られようと頑張っていた。目の前の家族・友達・仲間・恋人ではなく、すごい人。漠然としているけれど、簡単に言えば権力がある人、影響力がある人、ツイッターのフォロワーが多い人、収入が多い人、能力が飛び抜けてすごい人。人によって考え方は違うだろうけれど、僕にとってのすごい人とはそういう人。

 

なんでそんなことに頑張っていたのかというと、すごい人に気に入られると、得することばかりだということを僕は知っていたから。

これまでも、住む場所、食事、集客、サービスの展開に「すごい人」の存在は欠かせなかった。

 

少しでも「すごい人」に反応してもらいたくて、僕はもがいていた。

 

でも、僕を変えてくれたのはいつだって「目の前の人」だった。仲間と友達と恋人。彼らは僕の努力をしっかりと見てくれて、適切なアドバイスや一緒に考えてくれたり応援してくれる。

一方、すごい人は、追えば追うほど離れていく。彼らは凡人には興味がない。もちろん、僕は凡人以下だ。そして僕自身はすごい人になりきろうと言動だけが立派になる。

つまり、行動が全く以ってクソだから結果的に僕は中身のない人間になってしまった。

 

そして、家族・親戚が僕から離れていった。「何やってんだお前は」と。

 

23年生きてきてやっと気づいた大切なもの。それは、今、僕の身近にいる人だ。

家族も仲間も恋人も友達も、全部大事だったんだって実感した。それを僕はまるでガムを吐き捨てるように捨てたこともあった。

すごく後悔している。今まで、自分の選択に後悔することなんてなかったのに、今はすごい後悔に見舞われている。タイムマシンに乗って、あの時の僕をぶん殴りたい。お前がすごい人たちにとっての「ガム」なんだよと伝えたい。

でも、そんなことができるわけでもないから、これから僕はあなたを大切にして生きて行く。

 

今、僕を受け入れてくれるみんなに届いて欲しい。