福岡から東京までの自転車旅が僕に教えてくれた、たった3つのこと。

どうもです!KAZUです。

先日、こんな企画をしてきました。

ことの経緯は以下。

大学を辞め、バリスタとして経験を積もうと福岡のカフェに行ったのですが、あえなく失敗。東京での面接も合わせて2回落ち、「こうなったら自分でやってやる!」と決意。2017年8月、僕は人生の先のビジョンを見直さないといけなくなりました。

福岡に住みつつフリーランスでやって行こうと考えたものの、親戚や友人と話し、怒られた結果僕は「大学を復学する」ことを選びました。(元々は大学やめてバリスタの修行をしようと思っていた

大学は東京にあって、復学するのは来年の4月なのですが、10月から東京に住んで勉強と仕事、そして活動を行う予定です。

で、福岡から東京に戻る手段として自転車を選んだという流れです。

 

なんで自転車で行こうと思ったのか

そもそものきっかけは、東京でお世話になった人が「原付で東京青森間を往復する」という企画をやろうとしていたから。そこからインスピレーションをもらい、そして旅しながら生活しているデザイナーさんがこんな記事を書いていたのを見つけた。

その記事から内容を少し引用すると

旅とは内側に向かうものであり

旅行とは外側に向かうものである

 

多分、上手くいくことも上手くいかないこともたくさんある中で僕はやっぱり上手くいかないことの方が多いと思う。それは全部自分に原因があるからで、それを突き止めたくて、僕は自分と向き合うために旅をしたかった。旅で自分の内側と向き合いたかった。

 

僕を知っている人ならきっとわかると思うけれど、僕は外向的な人間で、人と接することで自分の存在を認識してきた方だ。だから、「自分がどう」であるかというより、相手と「どう違うか」だったり相手が「何をしているのか」でしか見てこなかった。だから、本質的に人と違うことをしたがった、人よりよく思われたかった。

僕は自分をもっと成長させたい、とは根本的に思っている。けれど、相手との競争の中でしか頑張れない自分がいたのは確かです。運動会のかけっこ、学校の成績、偏差値…

別にそれが悪いというわけではなくて、悪いのは全部自分。「自分の中の敵」を倒せずに22歳になった自分が全部悪いと思う。だから、今更なんだけど「自分」を”殺し”に行こうと思った。旅を通してね。

 

最初はサドルありの予定だったんだけれども、やっぱり人と違うことがしたくてさっきのデザイナーさんに直接質問してみたら、

「サドルなしでいけば?www」

と。

最初は怖くて仕方なかった。だって、サドルなしってつまり立ち漕ぎだし普通に警察に捕まりそうだし、何よりきつそうだから嫌だった。でも、「きつそうだから嫌」と言って自分の常識の範囲を狭めるのは、成長につながらない。自分の器(=常識・知識・経験)を広げることこそが成長につながるとデザイナーさんが教えてくれていたから、僕はサドルなしで行くことを決めた。

 

サドルなしの自転車旅が教えてくれたこと

と言った事情で福岡から東京までサドルなしの自転車で旅をすることになったんだけれども、その旅で僕が学んだことはかなりある。

多分、これを読んでくれている人のためにもなると思うから、是非とも読んでほしい。きっと何か気づきになれば。

 

「24時間で249キロ走った」日の学び

これは旅を始めて5日目の話。ここから僕の学びは広がっている。実はサドルなしの自転車旅と銘打っておきながら、初日2日目で挫折し3、4日目をサドルありで走った次の日だった。

この日のスタートは広島県福山市。もともとの目的地は、兵庫県の相生駅の予定だった。

言っちゃうとダサいからあんまり言いたくないけれど、初日二日目で僕は左ひざをだいぶ痛めていた。完走できないと元の子もないということで妥協した結果サドルありだったのだ。

5日目は、サドルなしで行こうかありで行こうか迷っていた。だから、あみだくじを作ってツイッターで投票を募った。

 

結果は、サドルあり。

 

とりあえず朝8時、福山市を出発する。だけど、この時自分にすごくムカついていた。この感情は、高校野球をやっていた時に似ている。怪我で、大好きな野球をやりたいのに思う存分できないあの感情とかなり似ている。

サドルなしでやりたいけれど、なんだか踏ん切りが切れない自分。
「足痛いのに、あと9日間もサドルなしでいけるのか…」と弱気になっていた自分。
サドルがあろうがなかろうが、他人には何も影響ないな…と妥協していた自分。

そんな感じで高校野球は後半妥協して、ほとんど諦めていたな…

 

そんな中、僕が死ぬほど嫌いな雨が降ってきた。

 

イライラが増す。

 

そのイライラは、あの時は雨に対してだったけれど、今思うときっと違うんだと思う。イライラしていたのは、情けない自分に対して。そして、雨はきっとそんな情けない自分に対して降っているのだ。

順風満帆に行って、この日もサドルなしで進んでいれば、きっとあれほどイライラはしなかった。いや、絶対そうだ。

 

「もうこれ以上ダメ。寒すぎるしパソコンが濡れる。」

マクドナルドで雨が止むまで休憩した。

 

だがこの時、自分がとてつもなく弱く見えた。雨に勝てない自分。弱気になる自分。妥協しちゃう自分。マックで仕事をしながら自己嫌悪に陥った。あまりにもダサすぎる

自分にムカついた僕は今日中に大阪に行くことを決め、まだ雨が降っているにもかかわらず自転車を走らせた。

 

自転車を漕ぎながら、ずっと自分と向き合う。

あの時は、「大阪まで自転車を漕ぎたくない。雨の中自転車を漕ぎたくない。」と言い訳している弱い自分が一番現れている時。だから自分と向き合わないともったいない。

車も少ないし、雨も夜中3時ごろには止んだ。風は心地いい。ひたすら自転車を漕いで、気づけば足は全く痛くなくて、体は疲れ切っているけれどエネルギーであふれていた。

朝8時ちょっと過ぎ。無事に大阪駅に着いた。限界突破した感覚が正しければ、あれが人生で初めて限界突破した瞬間だったと思う。大阪に着いてからなぜか元気になった。

 

この1日は、無意識に現れる弱い自分を見つけた日だった。3日経ってやっと気づいたのは遅いかもしれないけれどwww

 

旅は時に、自分の弱さを教えてくれる。

そう確信した1日やった。結果的に、大阪についてからは東京に着くまでずっとサドルなしで行くことができた。旅全体で見れば、企画は失敗かもしれないけれど僕にとっては気づきを得て、最後までそれを貫けたことの方が大きかった。確かにこれを知っている人から「ウケるwww」と言われるのもいいけれど、このときもっと大事だったのは自分がどう変わるかだった。旅で僕は幾分か変われた。

 

多分、自分の弱さというのはどこにでも現れると思う。勉強している時、仕事をしている時…

その時、弱い自分に気づけば、その瞬間から変わると思う。僕は自転車旅の途中で気づいてから、どれだけ足が痛くても、雨が降っても、時間がかかっても大阪から東京までサドルなしを貫けたのは明らかに「弱い自分」に気づけたからだと思う。

 

だから、これを読んでいるあなたが

「勉強している時」でもいいし、「仕事をしている時」でもいい。「本を読んでいる時」でもなんでもいい。

そんな時に自分の弱さに気付ければ、絶対にそのあとはなんでも上手く行く。

 

この「弱さ」についての話はまだ続く。

 

結果よりも過程を大事にする人生

自分の弱さに気づけば、結果が変わる。結果は、過去か未来のお話のこと。だから、僕は「過程」を一番大事にできる人が一番すごいと思う。

過程を一番大事にできる人は、間違いなく「自分の弱さ」に気づけた人だ。自分の弱さというのは、常に「今」現れる。もしかしたらあなたがこれを読んでいる今も、きっと集中して読んでいない。それはあなたの弱さだと思う。

「人間ずっと集中できないんだよ。」とか言っちゃう人は、言い訳をしている弱い自分に気づけてない。「賢い人は、本当は弱い」と僕は思っている。なんでも知っているから、自分の行動全部に理由をつけ、やる理由・やらない理由を持ってくる。その理由なしには、行動できないのだ。

逆にいうと、弱い自分を知っているから賢いんだとも思うけれど。

 

でも、強い人間に理論なんか必要ない。強い人間はいつだって常識を超えてきたはずだ。なぜなら時間と環境は有限だから。

有限である時間と環境の中で最大のパフォーマンスを出す人が、毎日8時間ぐっすり寝ていると思いますか?90分ごとに休憩をとって仕事や練習をしていると思いますか?

才能があれば別だけど、絶対そうじゃない。人間を賢くするの理論は、人間をどんどん弱くして行くのだ。

さっきの僕の例で行こう。

「左膝が痛い。このまま走ると足を怪我する可能性が高いから、13日走り続けることができないかもしれない。そうならないためにも、今日はサドルつけて行こう。」

と。でも、こんな人間は自分の弱さに気づけずアレコレと推論立てて考え、自分を甘えさせる。「理由」という道具を使って自分を甘やかす。

 

推論や理論は、未来と過去のお話。今とは全くの無関係だ。「こうなるだろう」という推論を元に挑戦することを躊躇し、「かつてこんな事象があった」という理論を元に挑戦することをやめる。

 

今を生きること。それは弱い自分と立ち向かうことだと思う。今が集中できる時間帯とか、今が集中できる環境とか関係ない。集中できない自分に立ち向かうことがとてつもなく難しくて、大変で、だけれどもとても重要なことなんだ。

僕は、まだまだそれに立ち向かっていかないといけない。

 

何を判断基準にして生きているか

「なんでこんなことをしたんだろう…」と僕は自分自身に思わざるを得なかった。サドルなしで挑んだこと、24時間起き続けて自転車を漕ぎ続けようと決めたこと。

でも、そこには判断基準があった。実は、無意識に僕が選んでいた判断基準があった。

 

「あなたは明確な基準を持って生きていますか?」

こう聞かれて、多分多くの人は答えられない。僕もそうだった。でも、考えてみればそりゃそうだ。

僕が4歳の頃、保育園でお昼寝の時間があった。一人だけ寝ずに起きていると、先生からつまみ出され、怒られ、締め出された。僕は、階段で泣いていた。

思えばこのころから「みんなに合わせる」ことを教育されていたのではないか。「決められたことを守る」ことを教育されてきたのではないか。

いや、さすがに僕も「協調性の重要性」ぐらいはわかる。だけれども、その「協調性」を言い訳に全ての判断をその他大勢に合わせていないか?僕は合わせていた。

高校に行ったのも、塾のクラスみんなが志望してたから。大学に行ったのも、高校の友人がみんな受験するからであり、浪人したのもみんながそうするから。これから就職する理由も、わからなかった。気づいた頃にはそんな自分が怖かった。自分が自分じゃないようでいるから。だから、僕は一度逃げた。おしゃれなカフェを開きたくてコーヒーを言い訳に大学を辞めようとした。そして、そこにも判断基準はなかった。どれだけおしゃれなコーヒーが好きでも、逃げるための言い訳に過ぎない。

 

僕は、この旅で見つけた。

「それを成し遂げたら近しい人がびっくりするかどうか」

だと思う。

だからいきなり変なことをしだすwww自分の中では変ではないし、きちんと理由はあるんだけれどもそんなの周りの人は知ったこっちゃない。明らかに変なことをしてるようにしか見えないと思う。

浪人したときに受験したのが東大だけだったときも、(今の大学は受験後に併願したところ)

ちょうど去年に路上でコーヒースタンドを立てたのも、

大学を休学したのも、辞めようとしたのも

そして今回サドルなしの自転車で福岡から東京に行ったのも

 

多分周りの人がびっくりするからやっているんだろうなって思う。その根底には「挑戦する」という、なんともありふれた言葉で表現するのも癪だけど、そんな思いもある。

「僕にできないだろうな〜」と思われていることに挑戦すること。バカチャレンジャーって感じ?僕は幼児園児?

なんとも厨二病な感じで自分でもわろけてくるけど、そんな判断基準がある。だから、みんなの予想通りに生きたくはない。

 

 

判断基準の「軸」があるかないかで全然違う。

今回自転車旅をしていてよかったなと心から思うのは、自分に明確な判断基準が見つかったことと、人生で初めて自分の弱さに向き合ったこと。判断基準が見つかったことなんて、ラッキー中のラッキー。絶対みんなはっきりしていないwww

「判断基準?えっと…好きか嫌いかで選んでるかな?」みたいな、ふわふわした全然具体的じゃない答えばっかりくると思う。みんなも好きか嫌いかで判断してるわ!!みたいな。

「ワクワクするかしないか」を判断基準にする人もいるけど、それみんなそうだから!!

 

好きか嫌いか、ワクワクするかしないかで選んでたの、ちょっと前の俺だから!!!www

でもそれって消耗するだけなんだよね。カレーが好きだからって毎日カレー食べられる?毎日ワクワクする遠足してられる?できないよね。だからそれらは判断基準じゃないわけ。

 

多分、みんな心の底でもっと根底的な判断基準があるはず。絶対ある。

僕の判断基準は結果的にこの2つ。

・普通と逆を行って

・それをすることで近しい人がびっくりするかどうか

の2つ。僕の場合、近しい人がびっくりしてくれるんだったら、好きじゃない勉強を頑張れる。ワクワクなんて関係ない。ワクワクしない勉強を、周りと逆に行けて近しい人がびっくりするからするんだ。

多分気づいている人は気づいていると思うけど、好き嫌いとかワクワクとか関係ない。それらは判断基準にすらなっていない。

「お金になるかならないか」も、判断基準にならない。なるんだったら全てお金で判断するってことよ?ブロガーさんで、ブログで収入を得たいならオピニオンとかいらないし、それこそ毎日記事を書いているはず。

大学生で給料のいい企業に行きたいんだったら大手以外は受けないだろうし、それこそM&Aキャピタルパートナーズとかに行っているだろうし、でもそうじゃないからって特に悲観するわけでもないでしょ?じゃあそれは判断基準じゃない。

「モテるかどうか」も判断基準じゃないと思う。ちょっと本能的な部分絡んでくるからなんとも言えないけれど、きっと好きな人だけにモテたいだけ。そして好きな人なんてコロコロ変わる。好きじゃない人に好かれると困る。

 

ちなみにここまで僕が判断基準じゃないと言っていることには1つの共通点がある。そこに気づけなかったかつての俺、今分かっているから安心してたまえw

 

 

これを読んでいる人にも考えて欲しい。

あなたの判断基準は何ですか?

 

 

福岡から東京までの自転車旅まとめ

サドルなしってアホだし、きついし、なんでそれやるの?と思うような意味のわからない企画だったけれど、学んだことはかなりあった自信がある。

結局何かを学べるか学べないかも自分次第なんだと思うけれど、なんであれ旅はオススメです。それがサドルなしの自転車旅であろうが、ノープランの電車旅であろうがくるまでの旅であろうが同じだと思います。

旅とは、自分の内側に向かっているもの。

 

また機会があったら何か旅企画をしたいな!

 

 

旅の学び番外編!

ここからは、僕が自転車をこぎながらひたすた考えていたことをつらつら書きます。メモっていたり度々ツイートしていたのですが、旅の軌跡を全部残します。

直接的には自転車は関係ないです。別に山手線に乗りながらでも考えることですが、なんせ一日12時間は自転車漕いでいるので暇なんですw色々考えるのですw

その中に、あなたの役に立つことがあればなと思います!

 

・いろんな人から感化されている人は、自分が何をやっているのか分かっていない人

→いや、これは本当に多いような気がするしかつての僕もそうだった気がする。なんかいいことを言っているような人ってSNSやインターネット上にはたくさんいて、それにいちいち感化される人って見てて

「この人って何している人なんだろう…筋トレ?勉強?ブログ?ビジネス?」みたいな。

「Aさんのおかげで〜」「Bさんのやり方でうまくいきました〜!」「Cさんのこの言葉刺さるわ〜」

みたいなこと言う奴。

かつての僕ですwwwなんかよくわからん偉人がいうような名言に励まされるとか、友達がそういうからとか、そんな感じ。

自分が話している時とか、発信している内容の中に登場人物が3人以上いたら多分他人に感化されていて自分軸を持っていないんだろうなって思う。もう一度言うけど、これかつての僕www

 

・世の中にやれないことはないけれど、それでもやらないのはなぜか

→多分世の中でやれないことってないと思う。例えば徒歩で日本一周とか、自転車で世界一周もそうだし、エベレストに登ることとか、川口春奈に会いに行くとか。

僕はそう言ったこと全部「やれる」ことだと思っている。けれど、僕は徒歩で日本一周しないし自転車で世界一周しないしエベレストに登らないし川口春奈に会いに行かない。

多分「やれないことは世の中にない」んだけれど、「やらない」人がいるのは確か。

「なんでやらないの?」とたまに思うかもしれない。

「東大に行きたいんです…」と相談してきた人に返答するなら「じゃあ勉強すれば?」じゃないですか?でも、東大に行きたいけれど勉強しないと言うことは何かしら理由があるわけです。例えば勉強に飽きたとか何を勉強すればいいのかわからないとか、経済的に難しいとか色々。

じゃあ次にその「やれない理由」を潰すことが一番大事になってくるのですが、それがまた厄介なもの。

実は僕は、カフェを開業しないか?と話しを持ちかけられたことがある。それは結局なくなってしまったのだが、一度だけそんな話をもらったことがある。

大学生だけど、カフェを開業することぐらいなら「やれる」ことだと思う。借金でもすればいいし、別に家でやれる環境を整えるでもいいし、場所を借りて定期的にやるのでもいいと思う。

けれど、やらなかった。

それは、いろんな要因があったからなんだけど僕はその「やれない原因」を排除することができなかったのだ。金銭面、学校との関係、親との関係。

やりたいのに、やれない。それは、自分自身の力不足に他ならない。

今1000万円あったらカフェは開業できた。親戚との信頼関係ができていれば開業できた。もっといろんな人を巻き込んでクラウドファンディングできれば開業できた。

けれど、出来ないだろうな…と言う見通ししか立たなかった。現実問題ね。だから、それは自分の力不足に他ならない。

 

あなたも、きっと今やりたいことはあるんだと思う。旅行に行きたい。恋人とディズニーに行きたい。BMWの車が欲しい。明日紅葉を見に行きたい。人によっていろんなやりたいことがあると思うけれど、やっていない。

それは、あなた自身がもっと成長するべきだってことを意味しているんだよって僕は思っている。そのやりたいことができるように努力しない限り、チャンスが巡ってこなければやりたいことは一生やりたいことのままになってしまう。

 

分かったかかつての俺!!!www

 

・恩をどう受け取るか

→僕はこうやって一人で活動していると、いろんな人からお世話になることが多い。今回の自転車旅もそうだ。寝るところを貸してもらったり、ご飯をご馳走になったり。

で、これまでの僕は「とにかく感謝」だけしていた。「ありがとうございます…!!!」ってな具合で。

深い感謝をすることが、一番大事だと思っていた。お礼を言うことが一番大事だと思っていた。相手に恩を感じることが「義理」なんだと思っていた。

でも、それは「言い訳」に過ぎないんだなって自転車をこぎながら思った。

「頑張れよ」

という励ましの言葉に、これまでの僕は感謝で応えていた。

違う。それは、甘えだと思う。

相手は、気持ちなんて求めていない。気持ちを求めるぐらいだったらいくらでも募金するはずだからだ。

でも、海外で貧しい暮らしをしている人ではない、紛れもない「僕」にご馳走してくれたりお世話してくれているのだから、僕は感謝することで返してはいけない気がした。

一方的な片思いは重苦しい。

感謝の言葉よりも、一円の方が価値がある。

だから、僕は結果を出すことにこだわりたいと思った。僕のためにお金を使ってくれているんだから、無駄にしてはいけない。募金したお金が募金団体の飲み代に消えたら殴りたくなりません?それと一緒で、僕に対してお金を使ってくれたのにそれがその時の楽しい楽しい飲み会だけでした〜!みたいに終わらせるのは明らかに違うし、キレられても僕が確実に悪いとしか思えない。

最近僕と付き合いがある人たちはみんな年上。年上の意地ももちろんあるとは思うけれど、それでも年上の方々が頑張って稼いだお金を僕が消費しているわけだから、結果でお返ししないといけない。逆に奢れるぐらいの結果を残さないといけないなって思う。

 

僕は「恩」を「結果」で返そうと思った。気持ちには一円も価値がない。「ありがとうございます」よりも「あなたのおかげでこんなに成長しました!」と言った言葉が聞きたいんだと思う。

 

 

・「自分ってめちゃくちゃ無力」だと言うこと

→24時間自転車漕いだ時に実感した。人間って、一人だと本当に無力なんだなって思った。頑張ることができない。

前日福山市を朝8時から出発し、ひたすら自転車をこぎ続けて朝の5時30分ぐらいに神戸に着いて、さあ大阪まであと30キロ!というところで限界を迎えていた。

眠いし、きついし、両足痛いし、お腹減った。

みたいな状態。無気力。何もできない。

「あと30キロだぞ!!頑張れ俺!!」と自分を励ましても、いまいち進めない。気分が乗らない。頑張れない。ただただ惰性で走っているだけ。

この時、「ああ、俺一人じゃ何もできないんだな…」って思った。これは何にでも言えると思う。

人って、つまるところ人のために生きているって僕は思っている。

お金を動かすのも人だし、人を動かすのも人。ものを動かすのも人。だから、他人無くして今の生活なんて絶対にありえないし、もっというと自分が中心の世界だなんて思うことがどれだけおこがましいことか。

家を建ててくれた人、野菜を栽培してくれる人、魚をとって来てくれる人、電車を運転してくれる人…

挙げ出すとキリがないけれど、僕たちは無意識の世界で「人のため」に頑張っているのだ。

家に住む人のために、食べ物を欲している人のために、遠くの会社に行く人のために、起業した人のために…

その意識は、無くしてはいけないと思う。

裏返すと、自分一人で何ができるの?と。

自分は無力であること。何もできない人間であること。支えられて生きていることをしっかり自覚できれば、自分も人のために生きることができる。

 

直近の僕は、「自分さえよければ」という考えに陥っていた。ダメだぞ!!かつての俺!!!ww

 

以上!!自転車をこぎながら考えたこと番外編でした!

 

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