皆さんは「肩書き」というものにどういう印象を持っていますか?

人によっては「名前だけの名称」だったり、「自分を一言で表す言葉」だったりすると思います。確かに、肩書きがあると何をしている人とかすぐにわかりますね。そういう面では肩書きは必要なものかもしれませんが、ある一方では「自分は本当にその肩書きが合っているのか?」と思い悩む人がいます。「自分は本当にディレクターとしてチームを引っ張っていけているのか?!?!」と。

 

 

 

東京でこのようなイベントがあったので、行って来ました。

THE SAPEUR-「平和をまとった紳士たち」-

 

この写真展で見た「サプール」と呼ばれる人たちが、何か「拠り所となるもの」を教えてくれました。

 

「サプール」とは?

世界最貧国の一つと言われ、国民の平均月給は2万5000円。3割の人々が1日の生活費を130円以下で暮らす「コンゴ共和国」という国がアフリカにある。サプールはそこで暮らす人々だ。

「サプール」という言葉はフランス語で「Société des Ambianceurs et des Personnes Élégantes(おしゃれで優雅な紳士協会)」という言葉からとった「SAPE」からきている。その言葉の通り、サプールと呼ばれる人たちは皆海外の高級ブランドを見に包み、街中を歩く。

 

彼らがその高級ブランド服につぎ込む金額は、およそ年収の4割にも達する。平均年収は30万円だから、おおよそ12万円。

 

毎月、シャツ一枚、ネクタイ一本、ベルト一本と揃えていく

 

自分の生活水準を切り崩してでも、1つ1つの高級ブランド品を集めていく。ローンを組んだり、お金を借りて高級ブランド服を買うことも。それでも、その努力の結晶がこれだ。

驚きだった。日本に住んでいる僕ですら、こんなに服を持ったことはないし買おうとすら思ったことがない。それなのに、最貧国の1つと言われるコンゴでこんなに高級ブランド物の服を持っている人がいるのだというから驚きだ。

 

なぜ彼らは高級ブランドを身に包むのか

ただ高級服を買ってそれを着るだけでは、ただのお遊びに過ぎない。僕がカッコつけてポールスミスの服を着て東京の表参道を歩くレベルと変わらない。

 

サプールの人々には、1つの哲学があった。

 

彼らにとってファッションは「平和」を意味する。「エレガント」な存在であることが自分を争いごとから遠ざけてくれるのだ。

ベルギー植民地時代、左翼によるクーデター、内戦を経験したコンゴ共和国は、常に生活のそばに争いごとがあった。

だからこそ、彼らは「紳士」であることによって人々の模範になろうとしている。紳士が人を殺すのか?いや、殺すわけがない。

 

高級ブランドを身に包み、ファッションで自分を表現することが常に「自分がどうあるべきか」を教えてくれる行動指針にもなっているのです。

これがサプールの彼らが高級ブランドを着る理由だと解釈しました。

 

 

肩書きに意味を持たせる

サプールの生き方は、とても僕に多くのことを学ばせてくれた。その中でも、「肩書きに意味を持たせる」ということについて学んだのはとても大きかった。

何気なく使っているあなたの肩書きに意味はあるのだろうか。例えば、僕はこのブログを書いているから「ブロガー」という肩書きを持っていてもおかしくはない。

だけれども、その「ブロガー」であることによって自分は

  • 何を表現するのか?
  • 何を伝えていくのか?
  • 何を求めるのか?

何もわかっていない。

 

僕は大学生だけど、(「学生は身分だ」という人もいると思うけれど)その「大学生」であることに何か意味を持たせているのだろうか?

 

何も持たせていない。

 

「大学生とは、どうあるべきだろうか。」なんて考えたこともなければ、そもそも自分がどうなりたいかなんて常にフワフワしている。

 

肩書きに、意味を持たせることがあなたの行動指針になる。「学生なんだから勉強する」というのでもいいと思うし、「ブロガーなんだから毎日ブログを書くのは当たり前」みたいなのでもいいと思う。

 

「肩書きに縛られないで。何者でなくてもいいんだよ。自分らしく生きよう。」

なんていう人は、そもそも自分が何者なのかわかっていないんだからそれを自分で肯定しているだけに過ぎない。「あなたの自分らしさって何ですか?」ときくと、多分その人は自分の長所・短所を語り出すと思う。僕は、もちろん自分らしさなんて全く言葉にできない。考えると、頭から何1つ言葉が出てこない。

 

「軸」というものは絶対に必要だけど、残念ながら経験上その「軸」は自分の中には見つからない。人は価値観だったり、自分の師匠だったり、尊敬している人だったり、もしくは妬む人間にその「軸」を求めていると思う。

 

「モデルのない人間にオリジナルは生まれない。」

とはよく聞く言葉だけど、こういうことなんじゃないかなぁ。肩書きだったりモデルにする人だったりがいて初めて、逆説的だけど、自分は「自分らしさ」を追求するのではないか、

なんて思っている。真似事から全て始まるのではないか。