一歩踏み出そうとしているとき、あなたに必要なのは「無責任な肯定」だ。

僕は、挑戦しようとしている人に対しては「無責任な肯定」が一番必要だと思うのです。

例えば「僕が大学を辞めて1週間で福岡に帰ってバリスタ修行をする。」と決めたときに、たまたまその日のイベントに参加する予定だったのですが、その話を参加している方にしました。

参加していた皆さんは、「お、いいじゃんいいじゃん。そっちの方がいいんじゃない?頑張りなよ。」と言ってくれました。何も理由を聞くわけでもなく。

 

そのとき、僕は「この決断は間違いないな。」って思えました。一歩進めたのです。

 

悩みなんてない。悩んだ時点で答えは出ている

僕は、人の悩みなんて本当の悩みだとは思っていません。

例えば「あの子に告白しようか迷っているんだよね…」と言い出した時点でその人の答えは決まっています。「告白しよう」という気が起きているから「告白しようか迷っている」のです。

だから、僕はいつも「悩みはスタート」だと思っています。悩んだ時点でスタート地点に立っているのです。

スタート地点に立ったら、あとはいつ出発するか、それだけ。だからこそ「無責任な肯定」が必要なのです。

 

否定は前進ではなく後退だ。

だからこそ、否定は後退を意味するのです。

「告白しようか迷っているんだよね…」と言った友人に対して

「辞めときなよ!あいつ、〇〇が好きらしいぜ。」とかいうのはもう愚の骨頂です。

多分、その人のために否定しているとは思いますが、本当にその人は前進できたのでしょうか?いや、前進していません。後退するのです。

確かに告白したら失敗するかもしれないけれど、「告白した経験」は「告白しない経験」の数百倍価値があると思っています。

笑い話にするもよし、失敗した理由を突き詰めるもよし、そして、新たな恋をまた始めるきっかけにもなるのです。

告白しないと、なんとなく未練タラタラになってしまったり、話のネタにすらもなりません。何も得ていない、ただ「失敗しない」だけ。

だから、否定はスタートを切るきっかけにならないのです。時間だけが一人歩きをし、自分はいつまで経っても幼いまま。

 

何かに挑戦しようとしている人に対しては無責任になってもいい

「〇〇しようと思うんだよね。」「〇〇やりたい」

と言った思いに対しては、無責任であっていいと思います。だって相手の中で答えは決まっているから、肯定してくれた人のせいになんて絶対にしません。

 

むしろ、否定されて挑戦しなかった時の後悔の矛先は、否定した人に向かいます。これは僕の経験上の話ですが。

しない後悔よりした後悔。しない後悔は時間が取り返しがつかないぶんだけ後悔が大きいのです。